Artery’s History

■ 1989 年
代官山 SLUG NEXT に、美容発祥の地 London へ2年間渡英していた ( 現在 , 代表松井 謙氏)が帰国後
オープニングから店長として参加しLondonでの経験を生かし、雑誌anan、キューティー、など
ブラック系ミュージックブームと同時に、日本で初めてエクステンション、チョップスティックパーマ、
ダブルスティクパーマ、ドレッド系パーマなど後半には ( 現在、ゼネラルマネージャー山口 高氏)と共に
数々のオリジナルスタイルを考案した。

■ 1995年3月
忘れもしないあの地下鉄サリン事件のさなか、当時原宿美容室通りと言われ
美容室が軒を並べた神宮前四丁目の不思議な地下二階で
SLUG.er (スラッグ.イーアール)と命名し、スラッグブランドとしては初めて
この地、原宿に独立オープンし、 原宿での活動を称し slug harajuku とした。
当時としては珍しいロフト調のスペースで古木やトタン等を使った手作りの
温もりのある斬新な店構えで、雑誌Zipper、東京ストリートニュース、Stonew、
cawaii、ヘアカタログ…他 などの個性的な雑誌に多く取り上げられエクステンション、
チョップスティックパーマ、ドレッド系パーマなどが時代
にのり多くのミュージックシーンなどと共に一時代を築いた。

■ 1997年3月
今のmono slug (モノ スラッグ)がまだ未開であった神宮前六丁目の
穏田商店街にオープン。

当時雑誌JJ、ViVi、Cancan,、non-no、Ray、FRaU、Spring、With、MINE、
Grazia、ar、ef、cawaii、S,cawaii、JUNON、MINE、VOCE、FIGARO、ヘア&メーク、
へア&ビューティ、ヘアカタログ、ヘアスタイル1000、Ranzuki、…他など多数掲載され、
美容師ブームを追い風に巻き髪、
ナチュラル,フェミニンなラインを打ち出した。

特に『JJ』には毎月20回以上登場しナチュラルからハードまでとヘアースタイルやお客様層
により一層幅を広げた。

■ 1998年12月
SLUG a tete(スラッグ ア テット)新潟店を同士である長谷川 幹夫氏と共に、
生まれ育った新潟市にオープン。
東京原宿発信サロンとして松井氏も毎月サロンに立つなど地元にない新しい
スタイルを送り出した。

実はこの新潟店オープンには当時語れなかった理由がある。

原宿ニ店舗と毎日サロンワークと慣れない経営で四苦八苦してた矢先に、
私事であるが新潟住在の母が突然余命半年の癌に侵された。
病名告知無しで不自然な見舞いは母に癌を悟らるため
「新潟に出店すれば仕事を理由に見舞いが自然にできる」、と考えたうえの
強行出店であった。
アシスタント時代に苦楽を共にした長谷川氏との再会いも何かの縁である。

■ 1999年5月
時代の流れは速く、美容室通りの注目も一段落し、
それを期に手狭になったSLUG.erを拡張のため当時ラフォーレに次ぐ原宿の象徴
となったGAPビルの裏手にabby slug (アビィ スラッグ)と改名イメージを一新し、
メンズヘアーが今までにない注目を浴びメンズ雑誌、smartHEAD、BOYS RUSH、
CHokiCHoki、BiDaN、BoonCHECK-NATE 、POPEYE、MEN’S NON-NO、 smart
、FINEBOYS、HOT-DOG PRESS、キラリ!、メンズジュノン、men’sベストヘア400、
ボウズSTYLE、他に取り上げられ特に『smartHEAD』、『CHokiCHok』、などは多数登場し、
幅広いスタイル提案で話題を呼んだ。

■ 2004年4月
mono slugの膝元であり、
新たな盛り上がりをみせる神宮前六丁目エリアにabby slugをに移転した。

■ 2005年4月
新潟市小針にSLUG a tete salon( スラッグ ア テット サロン)オープンし、
同年12月にSLUG a tete (スラッグ ア テット)を拡張移転し
現在のLUXE(リュクス)と改名、
信濃川を一望できる高級感漂うラグジュエリーサロンとして雰囲気を一新した。

■ 2007年11月
abby slugを閉店,mono slugでの統合営業により、
今までにない mono slug 原宿としての凝縮されたソウルフルなサロンワークを新たに歩み始めた。
巻き髪系ホットパーマからオリジナルパーマまでジャンル
幅の広いスタイル提案している。

■ 2010年8月
移転と同時に「Artery」と改名し、新たなブランディングを模索中